15 『判例』への考察「うつ」人の考察:『判例』について考える平成18年7月29日付けの朝刊を見ています。 2つの判決が掲載されていました。 1つ目は、岐阜県中津川市の中学2年生の少女(当時13歳)が、『元パチンコ店の空き店舗で殺害された事件』です。 殺人の非行事実に問われた元高校一年生(当時15歳)に対する岐阜家裁の少年審判が28日にありました。 中等少年院送致の決定で期間は3年以上の相当長期間というものです。 2つ目は、埼玉県坂戸市で平成15年に飲酒運転の車に撥ねられ死亡した大学生(当時19歳)の遺族が、加害者の男(当時37歳)の他、『一緒に飲酒した同僚(当時33歳)』、『飲酒運転を知っていた妻』らに『計約八千百万円の損害賠償を求めた訴訟』の判決です。 東京地裁は28日、加害者の男と『一緒に飲酒した同僚』、車所有者の元勤務先に計五千八百万円の支払いを命じたというものです。 同日の新聞に掲載されていたこともあり、読んだ直後に思わず唖然としました。 1つ目の事件に関しては、岐阜地検が「確定的殺意に基づく残忍な犯行で、社会に強い衝撃を与えた」として「検察官送致(逆送)」を求める「刑事処分相当との意見」を付していたそうです。 『改正少年法』は、「少年の更生保護だけでなく、自分の罪は自分で償う『責任主義』の観点を取り入れ、十四歳以上の少年に対し刑事処分を認めた。」 「だが依然として適用するケースは少ない。」とあります。 片や『殺人事件』が、「中等少年院送致」という決定が出ました。 片や『一緒に飲酒した同僚』も含めて六千万円に近い支払い命令です。 同一国の『罪刑法定主義』に基づく裁判結果なのかと疑います。 先ず1つ目の事件についてです。 少年犯罪の重大化を阻止するのも目的の一つとして、刑事未成年も引き下げられ、『少年審判』ではなく『刑事処分』が出来るように『少年法』が改正された訳ですよね? それなら、何故、計画的な『殺人事件』を犯した少年を、刑事訴追しないのか非常に不快です。 日本国は三審制を採用していますが、一度、家庭裁判所が『少年審判』を決定すれば、『控訴』や『上告』が出来ません。 「遺族がドンナ思いでいるのか」キチンと家庭裁判所は考えていたのでしょうか? 『殺人』を犯した人物を少年院で厚生できると考えているのでしょうか? 「テメーの娘が同じように殺されても、同じ決定をするんだろうな!」 家裁裁判長に詰問したくなる事件です。 私が遺族なら、間違いなく、中等少年院送致の決定をした「裁判長」の「娘」か「孫」を殺すでしょう。 当然のことでしょう? 今の世の中、人一人殺したところで、絶対に死刑にはなりません。 その道の専門家?浅田次郎氏が自著『初等ヤクザの犯罪学教室』でハッキリと断言されています。 (詳細については、私のブログのフリーページ「◎「杉の花粉」の愛読書紹介(全文)」の「4 人より少し賢くなりたいと思ったときに」を参考にしてください。) 『前例踏襲主義』で、そして下らない自己満足・自己欺瞞で、『遺族の痛み』を誤魔化したツケは、キチッと払って貰わなければなりません。 2つ目の事件です。 今の日本で、「酒を一緒に飲んだ同僚が、車で帰るという同僚を止めることが出切る」のでしょうか? 小学生じゃあるまいし、「人から止められなければ飲酒運転を止めない」なんてことは、余りに非常識でしょう。 その前提に立った『支払い命令』には驚愕しました。 そして、飲酒運転で人を撥ねた加害者に対して、自動車保険が支払われるのか良く判りませんが、如何考えても『一緒に飲酒した同僚』が、例え「無制限の自動車保険に加入していた」としても、保険金が支払われる可能性はありません。 一緒に酒を飲んだだけで、数千万円の支払いを命じられる。 「何処にそんな金があるんだ!」 私まで腹が立ってしまいます。 余りに暴挙だと思いませんか? 今までの判例では、「一緒に同乗していた人」に対して損害賠償の支払い命令が出たことはあっても、「一緒に飲んだから、止めなかったから」といって、支払い命令が出たことはないそうです。 当然のことでしょ? これが前例になるようだと、今後、オチオチと酒も飲めなくなります。 「うつ」の私は飲酒を止められていますので問題はありませんが・・・。 上級裁判所で、判決が「破棄・差し戻し」されることを望みます。 このように岐阜など田舎では、『前例踏襲主義』が罷り通っています。 東京地裁は、『判例』など「何処吹く風」です。 確かに日本国は『判例法主義』は採用していません。 ですが、余りに違う趣旨の『判例』に接して、驚愕し、思わずパソコンを立ち上げてしまいました。 暴論ですが、家庭裁判所など失くして、全ての事件が『三審制で審議されるようになること』を心の底から望みます。 そうすれば、下級裁判所が如何いう判決をしたかに関らず、最高裁判所で同一の判断を仰げるでしょうから。 ここからは余談です。 少々過激な表現がありますので、15歳未満の方、若しくは心臓の弱い方、特に『怒りっぽい方』は御遠慮ください。 妻にこの話をしました。 「私が、同じように大切な人を失ったとしたら、一緒に飲んでいた人間も死ぬまで苦しめてやる!」 非常に怖い返事です。 妻だけには逆らわないでおこうと思っています。 もし、私が遺族なら、損害賠償なんて一切しません。 加害者が、出切るだけ早く交通刑務所から出所できるように必死で嘆願活動をします。 そして、交通刑務所の門から加害者が現れた瞬間に、ブチ殺します。 前述したように、人一人殺したところで死刑になることは絶対にありませんから。 10年ほど前になりますが、北京大学を卒業し社会科学院に入ったものの、奥さんの日本留学にくっ付いてきた中国の方から、中国語を習っていたことがあります。 或る時、彼が不思議そうな顔をして私に尋ねます。 「日本の中学生が苛められて自殺したって新聞で読んだ。」 「何故、苛めらた方が自殺するんだ?」 「日本ではゴク当たり前の事だけど」と答えます。 「我々中国人なら、苛められたら、ソイツを殺してから自分が死ぬものだが・・・。」 眼から鱗が落ちた音が、聞こえたようです。 『何故、自分で殺さない?』 常に事件が起こる度に、そう考えるようになりました。 私は、『憲法』に従って「公序良俗」を守り、「順法主義」で生きています。 当然、私刑(リンチ)が固く禁止されているのも承知しています。 相手を恨んでも、二度と「失くした人」は戻らない。 充分過ぎるくらいに承知しています。 ですが、自分の大切な人が殺されてしまえば、その後、何を『生き甲斐』にすれば良いのでしょうか? お金ですか? 違う人を探しますか? 何をしても「失くした人」は二度とは戻らないんですよ。 早くに母親を病魔に連れ去られたトラウマかも知れません。 でも、大事な人を殺されたら、自ら行動を起して、相手をブチ殺す。 これが、我が家の『掟』です。 ジャンル別一覧
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